18世紀前半のバロック時代後期のオペラには、ドイツ出身でイギリスで活躍したヘンデル(1685年 - 1759年)や、フランスのラモー(1683年 - 1764年)などに優れた作品がありました。
しかし、その他の多くには、特に本場イタリアでは、カストラートを はじめとした人気歌手たちの声と技巧をひけらかすことを第一の目的とし、筋の方は支離滅裂で珍妙なものも増え、劇としては堕落の様相を呈する傾向がありました。
また、バロック・オペラのスタイルも誕生から百数十年が経ち、制度疲労と硬直化を見せるようになった。そうした状況の中、18世紀後半に古典派音楽の 台頭とともに登場したのが、ドイツ出身のグルック(1714 年 - 1787年)です。
彼は、歌手のためにオペラがあるのではなく、オペラのために歌手が奉仕するような、あくまで作品とドラマの進行を第一とするような方向にオペラを再び立ち返らせ、ドラマの進行を妨げる余計な要素を一切廃したスタイルのオペラを書きました。
当初はオーストリアのウィーンで、後期はパリで活躍するが、当然のことながら旧守派と激しく衝突し、ことにパリでの争いは歴史的にも有名です(次回以降)。
改革されたオペラの第1作は、ウィーン時代の 1762年に初演された『オルフェオとエウリディーチェ』であった。パリ時代の作品には『アウリスのイフィゲニア』(1774年)などがあります。
グルックの「オペラ改革」は、後の時代に大きな影響を与えたそうです。
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